かぐや姫考1

かぐや姫の真実

原田実

 

鹽土老翁と竹取の翁

 

 一説に浦島伝説の舞台ともいわれる京都府宮津市の籠神社では、その御祭神・彦火明命が記紀のヒコホホデミと同神で、この命は丹後半島から密封された竹籠の船に乗って、沖合の沓島・冠島周辺の海底にあった竜宮に向かったと伝えています。

「籠」という字が当てられている理由はこの伝承によるとのことです。さらに、この彦火明命は竜宮に行ったという浦島太郎でもあり、「籠宮」という社名は竜宮にも通じるというわけです。

『日本書紀』一書によると、ヒコホホデミに竜宮への道を教えた鹽土老翁が、地面に櫛を投げると、その落ちた所からたちまち竹林が生じた。翁はその竹を切って、籠を編み、船にしたとあります。櫛を投げて竹林を生じさせるという呪術は『古事記』で、イザナギが黄泉国を逃れる時にも用いたとされていますが、竹の生命力に対する古代人の崇敬が察せられる神話です。

竹の生命力といえば思い起こされるのは『竹取物語』のかぐや姫です。竹取の翁は竹に封じられていたかぐや姫を取り出し、鹽土老翁はヒコホホデミの命を保つために竹の籠に封じる。この二人の翁はともに竹の生命力を呪力に変える呪術者といえそうです。

「桃太郎」「浦島太郎」「かぐや姫」は日本三大童話と称されていますが、そのうち「浦島太郎」と「かぐや姫」はあるいは共通の神話の型から派生したものではないか、という疑問が生じるのです。

ところで日本人なら誰一人知らぬ者はない「かぐや姫」ですが、この話には多くの謎が含まれています。

 

荒ぶる月の女神

 

まず、この話はいわゆる御伽噺ではありません。「桃太郎」「浦島太郎」は江戸時代に刊行された御伽草子に入っていますが、「かぐや姫」はそこに含まれていないのです。

「かぐや姫」は民話・昔話にも含まれていません。現在、鹿児島県宮之城町香川県長尾町広島県竹原市岡山県真備町奈良県広陵町京都府京田辺市京都府向日市、静岡県富士市の八自治体が「かぐや姫の里」の名乗りをあげていますが、「かぐや姫」の原典『竹取物語』の記述とその地方の歴史・物産を関連付けるもので、特にそれらの地方の民話に「かぐや姫」が残っているというわけではありません(ただし富士市の伝説は重要。この点後述)。

鹿児島県下甑島などに伝わる「竹姫」は竹から生まれた少女が翁に恩返しする話ですが、求婚者への難題のくだりを欠いています。

 日本各地に伝わる昔話には求婚難題といわれる婿試しの話もあるのですが、その全体のストーリーは「かぐや姫」とは似ても似つかぬものばかりです。

結局、「かぐや姫」は昔話として、まとまった形で定着することはありませんでした。

他の有名日本童話を調べると、「桃太郎」「浦島太郎」は昔話としても広まっており、「花咲爺」にいたっては昔話の代表格とみなされているのですから、「かぐや姫」の状況は異常です。

高橋宣勝氏は「かぐや姫」の物語構造自体に昔話化を拒む要素があるとみなしました。高橋氏はその理由として、『竹取物語』の垂直的宇宙観(天上と下界を峻別する)が水平的宇宙観に生きる日本の庶民には受け入れがたかったことをあげています(高橋『語られざるかぐやひめ』大修館書店、一九九六)。

しかし、ことはそれだけではなさそうです。永塚杏子氏は求婚者に難題を突きつけては断り続け、ついには皇后にと望む帝の求婚をも振り切って月に帰るかぐや姫の姿に平安時代の女性の秘めたる自立願望を見出しました。

長塚氏はさらにギリシャ神話で永遠の純潔を誇ったという月女神アルテミス(ローマ神話のダイアナ)とかぐや姫の類似を指摘しています(永塚『かぐや姫の反逆』三一書房、一九八八)。

結婚というハッピーエンドを拒みきるヒロインの話は子供の幸福な結婚と子孫繁栄を望む庶民の親が、その子供に話して聞かせるには不向きだったのでしょう。これが「かぐや姫」が御伽噺にも昔話にもならなかった真の理由と思われます。

『竹取物語』におけるかぐや姫は、求婚者に対してあくまで冷酷です。求婚者の中にはその難題に答えようとして死に至る者、危ういところで助かって「あの女に殺されかけた」と嘆く者もありますが、彼女は心を動かされることはありません。

そして、いったん月に帰ることを決意すると、帝があまたの武士を集めても、その歩みを妨げることはできないのです。

かぐや姫といえばいかにも雅なイメージがありますが、その行動をみると光り輝く美しい容姿に荒ぶる月女神の相を隠していることがわかります。

小島菜温子氏は、かぐや姫に、天上にも下界にも拠るべき場を失ったタタリ神の相貌を見出しました(小嶋『かぐや姫幻想』森話社、一九九五)。

 

『竹取物語』の謎

 

『竹取物語』は『源氏物語』の中で「物語の出ではじめなる竹取の翁」と呼ばれるほど古くから有名だった物語です。しかし、その成立は謎に満ちています。

 まず、その作者も成立年代も不明です。むろんこれは古い物語にはありがちなことなのですが、『竹取物語』には実在の人物が多数出てきており、その作者が誰にしろ、なぜわざわざそのようなモデル問題の生じそうな話を書いたのか、その動機からして勘繰りたくなってくるのです。

 作中に登場するかぐや姫への求婚者は石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍みむらじ、中納言石上まろたり、の五名(帝を入れると六名)です。このうち、大納言大伴御行については七〜八世紀の重臣に、同姓同名、官職まで一致する人物がいます。

また、阿倍みむらじ、中納言石上まろたりが大伴御行の同時代人、右大臣阿倍御主人と大納言石上麻呂にあたることも明らかです。この三人は実名か、ほぼ実名で登場しています。

 車持皇子の名で正史に登場する皇族はありませんが、車持氏の母を持ち、しかも皇胤との説が広まっていた人物がいました。右大臣藤原不比等です。不比等は藤原鎌足の次男ですが、『公卿補任』や『帝王編年紀』にその実父は天智天皇だとの注記があります(ちなみに鎌足の長男についても孝徳天皇の皇胤との説があります)。

不比等は不可解な出世で後世の藤原氏興隆の基礎を築いた人物ですが、皇胤とすれば、同じ天智天皇の皇女だった持統天皇による抜擢振りも説明がつくというわけです。

以上の四人と同時代の重臣に左大臣丹比真人島がいました。丹比真人氏は宣化天皇から出た皇別で石作氏と同族です。つまり丹比真人島は石作皇子との偽名で呼ばれてもおかしくはない人物です。

江戸時代の国学者・加納諸平はこの五人がそろって宮廷にいた時代を考証し、『竹取物語』は文武天皇(在位六八三〜七〇七)の世相を風刺した小説であるとの説をたてました。つまり、かぐや姫に求婚した帝は文武天皇だったことになります。

この加納の考証に基づき、『竹取物語』の作者は、藤原氏に重臣の座を追われた紀氏もしくは忌部氏の誰かだという説があります。加納自身は作者として忌部氏の人物を想定していたようです。

作家の杉本苑子・井沢元彦両氏と漫画家の里中満智子氏がこのテーマで鼎談した時には、杉本氏と井沢氏が紀貫之(平安時代初めの歌人)、里中氏が紀長谷雄(平安時代初めの政治家)をそれぞれ作者の第一候補として推していました(『NHK歴史発見4』角川書店、一九九三)。

また、梅山秀幸氏は文武天皇の時代、宮中の采女の結婚への取り締まりが厳しくなったという史実に着目し、かぐや姫のモデルは結婚が発覚して自決または刑死に追い込まれた実在の采女であるとの説を唱えました。

天皇にのみ仕えるのが建前の采女が別の男性と結ばれるということは、天皇の求愛を振り切るということであり、かぐや姫の行動に通じるものがあるというわけです(梅山『かぐや姫の光と影』人文書院、一九九一)

 

実在?した迦具夜比売命

 

 しかし、かぐや姫と竹取翁に実在のモデルがいたとしても、五人の求婚者のモデルとは別の時代の人物だった可能性があります。というのも、『古事記』と『万葉集』に、文武朝の人物ではないカグヤヒメと竹取の翁がそれぞれ登場してくるからです。

『古事記』のカグヤヒメ(迦具夜比売命)は第十一代・垂仁天皇の后の一人でその曾祖母の名をタケノヒメ(竹野比売)、その父の名をオオツツキタリネ王(大筒木垂根王)といいます。曾祖母の名はそのまま竹ですし、父の名も筒になった木、つまり竹に通じます。

したがってカグヤヒメは「竹から生まれたかぐや姫」のモデルになってもおかしくはない人物なのです。

 その系譜を説明すると第9代・開化天皇が丹波の大県主ユゴリの娘タケノヒメを娶って生まれた皇子がヒコユムスビ王、そのヒコユムスビ王の子・オオツツキタリネ王の娘がカグヤヒメというわけです。

 この系譜の人名でユゴリとは融けた金属が鋳型の中で固まること、ヒコユムスビは融けた金属から金属製品を作る男の意味として解釈できます。畑井弘氏は、オオツツキタリネ王は古代丹波を治めた鍛冶王であり、カグヤヒメはその王に奉祭された金属の精霊であるとみなしました。その祭祀を物語化した『竹取物語』の中で、かぐや姫が光り輝いていたとされたのももっともだというわけです(畑井『天皇と鍛冶王の伝承』現代思潮社、一九八二)。

 また、中津悠子氏はカグヤヒメを第十代・崇神天皇に滅ぼされた先王朝の王女とみなし、二つの王朝の狭間で悲劇的な最期を迎えた彼女への鎮魂のために書かれたという説をたてました(中津『かぐや姫と古代史の謎』新人物往来社、一九八〇)。

 

かぐや姫と鬼道の秘儀

 

 大川誠市氏は、『竹取物語』のかぐや姫について、『古事記』のカグヤヒメではなく、その曾祖母のタケノヒメにあたると見なしています。さらにタケノヒメは『三国志』倭人伝で卑弥呼の後を継いで倭国女王になったとされる臺与(壹与)でもあったとしています。

 かぐや姫が求婚者に求めたという五つの品、仏の御石の鉢・蓬莱の玉の枝・火鼠の皮衣・竜の頸の玉・燕の子安貝は、いずれも卑弥呼の鬼道で重視された夜空の星の異名であり、『竹取物語』の作者は三世紀の女王の問いに八世紀の高級官僚を挑ませることで、鬼道の知識を失った天武朝以降の官僚の無知を揶揄したというわけです(大川『天球の邪馬台国』六興出版、一九九一)。

 かぐや姫のモデルを臺与(壹与)に求める論者としては他に加治木義博氏があります(加治木『日本国誕生の秘密はすべて[おとぎ話]にあった』徳間書店、一九九六)。若干十三歳にして女王となった臺与と、生まれてからわずか三月で成人し、結婚することなく天に昇ったかぐや姫のイメージを重ね合わせるのは意外と容易なのかもしれません。

 かぐや姫のモデルを『古事記』のカグヤヒメに求める試みは、自ずと研究者の目をその曽祖父、開化天皇に関する伝承へと向けさせることになります。

 今までの連載でも「桃太郎」「浦島太郎」の起源を追及していくと、欠史時代の皇族の事蹟にたどりついてしまうということがありましたが、どうやら「かぐや姫」についても同様のことが言えそうです。

 さて、『古事記』のカグヤヒメの系譜を遡っていくと、その祖先に丹波の大県主を見出すことができました。籠神社の社伝や『丹後国風土記』逸文に見られるように「浦島太郎」もまた丹波・丹後の地と深い関係を持っていました。『丹後国風土記』逸文で浦嶋子が亀に連れられて旅するのは星の世界であり、かぐや姫が帰っていくのは月の世界です。

 先に述べた竹の呪術といい、丹波の地縁に、天上への志向と「かぐや姫」と「浦島太郎」にはいくつもの接点があります。あるいはこれは二つの物語の背後にある史実の反映なのかもしれません。

 さて、ここでいったん『古事記』を離れましょう。『竹取物語』そのものからその成立を探ろうとする時、注目されるのはこの物語が富士山の煙の起源説話となっていることです。すなわち、かぐや姫は帝や竹取の翁のため、下界に不死の薬を残したがそれを飲む者はなかった。富士山からはその薬を燃やす煙が昇り続けているというのです。      

(続く)

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